【後編】こんな小学生でした!【たくさんの変化&学び】

今回は「小学生時代の後編」を書いていきます。どんな子どもだったのか・・・。書いてる途中で、めっちゃ思い出して行くんだろうな〜(笑)それでは、いこか〜!

杉山修

4年生

4年生ってなかなか難しくて、年頃になっていきながら、まだまだ子供な時期ですよね。僕自身、家ではまだまだ甘えて、学校ではハキハキするようになっていきました。

”学校&先生”の想い出15選

4年生の時は、いよいよ「楽しさ」のアンテナを自覚するようになってましたね。先生にも恵まれて、感謝だらけの1年間でした♪

・音楽を教えるのが上手な先生で、めっちゃ皆を褒めてくれて、歌う楽しさを初めて感じました。
・毎週放送されてた、「エイゴリアン」っていう英語のテレビ番組を朝のホームルームで見せてくれた。テレビ見せてくれる先生というてだけで、めっちゃ感動した(単純w)
・「杉山」なのに出席番号は「2」番というミラクルだった。隣のクラスにあ行とさ行が固まってた(笑)
・私服を考えるのが嫌で、体育の日以外は、プーマのジャージを着てた。今も同じ服を3種類2~3枚ずつをサイクルしてます!朝に悩むの勿体無い!
・年頃のせいか、周りを意識するようになって、寝癖を直して登校していた。(笑)
・お風呂は父か祖母と入っていた。
・気の合わない子とはあまり関わらなくなる。(今の土台が4年生にできていた)
・選手リレーに選ばれる。(足だけは速かった)
・子供の時って足が速いとモテるはずなんだけど、モテ期はこず…
・教室の先生の机の上にあった大事な資料を見たことをめっちゃ怒られた。(じゃあなんで机に置いてんねんって思っていたが、そりゃ怒られるよなw)
・鏡にお化けが映ると噂の図工室に友達と3人で昼休みに潜入してたら、事務の先生にバレて怒られた。「一緒に見に行こうぜ!」って言う先生になって欲しいです。
・運動ができる幼馴染の女の子をライバル視していた記憶がある。(修さんは、嫉妬を覚えたw)
・嫌いな友達を無視していたら先生に呼び出されて怒られた。(露骨な無視がダメなことを覚えたw)
・朝ごはんの時に、毎朝兄貴と眠さのあまりケンカしていた。(朝から元気かてw)
・登校の集合時間ギリギリまで野球ゲームをする3つ上の兄貴の神経に感動していた。(笑)
memo
まじで、兄貴の伝説をまとめた記事かけそう!(笑)

これといって、キラーエピソードはないですけど、高学年の仲間入りに向けてですね。 変化が多い歳なのかなと思います。

”少年野球”の想い出7選

野球少年だったな~!野球をやってるお子さんは今は少ないのかな。。。

4年生の時のポジションは、ショート&ピッチャーでした!

野球の思い出7選
❶ 試合で初めてランニングホームランを打つ。
❷ 打球が怖くて飛んでくるなって思ってた。(笑)
❸ 相手が強いと試合中に話しかけたくなる謎の衝動があった。
❹ エラーしたり、盗塁を失敗するたびに泣いていた。
❺ 練習が大嫌いで行きたくないとごねたことも数回。
❻ 1日練習の時はテンションがめっちゃ低かった。
❼ 背番号は「6」で今も「6」が気に入ってる節がある。
memo
あまり多くの記憶はないけど、ま〜、子供だな〜って感じですね。(笑)

5・6年生

5.6年生はほんと色々あったわ~。

小学生時代で一番記憶がある2年間です。

先生が記事見てるかもしれないけど、忖度なしで書きまくりま~す♪

”学校&先生”の想い出15選

● めっちゃ怖い先生が担任になる。(この時、天海祐希さん主演の”女王の教室”ってドラマがあったw)
● 先生が嫌いすぎて授業や教室が嫌で、”お腹が痛い”という仮病を覚えた。(逃げるという引き出しを手に入れたw)
● 給食時間の半分を使って授業することもあり、とんでもね〜なと子供ながら思っていた。
● 休み時間は隣のクラスに皆が遊びに行くので、先生は孤独タイムとなる。(隣のクラスの先生は毎回笑っていたw)
● 学校に関することは家に持ち込みたくなく、図書館で宿題をして帰宅していた。(1人時間を選択する引き出しを手に入れた)
● 理科の授業は先生が違ったから、皆のびのびしててウケた。
● 会議や発表の打ち合わせのため、朝のホームルームに遅れていける特権!?のある学級員委員長を率先してやった(笑)
● 運動会のリレーの先生が決める順番が気に入らなくて、毎日順番を考えて職員室に提出しに行っていた謎のメンタル。(笑)
● 先生への”ビビり”と”譲れない時は譲らない”という2面性のせめぎ合いで、毎日疲れていた。
● 頭が痛いという仮病を使って保健室に逃げる術を身につけた。(サボりの引き出し2つめ!)
● 席はいつも一番後ろでそこは精神的に助かった。(笑)/box] ● 6年の時はストレスで、座ってる木の椅子を爪で掘り取って、1年かけて素晴らしい彫刻作品となった。(笑)
● 算数の時に、自分のコンパスがこわれて、友達に「貸して」が言えずに泣いた。(謎のプライド)
● 部が悪くなるとすぐに泣き出す女の子がいて、「気をつけないといけない女子もいる」ということを学んだ。
● 登校班の黄色い旗を持っていて、玄関の他の旗よりも綺麗に大事に使っていることが誇りだった。(班が1-1ということでなんか胸を張っていたw)

スラスラ出てきました~♪

時代もあるしね、いろんな先生がいた中で、合わなかったってだけですけど。

ただ、「ストレス・負荷のある環境」を経験できたのは大きかったと思います。

その中で、自分を出せてましたし、仮病という素晴らしい手札を手に入れましたから♪(笑)

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幼馴染の女の子が同じクラスで、1回だけ「先生怖いよな。嫌じゃない?…」って聞いたら、『まあ仕方ないじゃん。卒業するまで変わらんのやで。』と。毎日登校班も一緒の幼馴染が、サバサバしてたのは救いでした。
memo
保健室から仮病で帰ったことがあるんだけど、母さんは笑ってました。(笑)昔の自分と重ねたのでしょうww

”少年野球”の想い出15選

最初はピッチャーでしたが、コントロールが悪すぎてキャッチャーに!

真っ赤なキャッチャーミットを監督にもらって、その気になりました。(笑)

● 大事な大会の試合や自分がミスした試合は今でも鮮明に覚えてます。(球場や配給も)
● チームの平均身長が低くて、身長やパワーのハンデには、小学生では勝てない現実を知った。
● 人数が10人のチームで、「怪我するなよ」っていつも言われてた。(ただチームは県で3番w)
● 同じチームになんでも出来るスーパースターがいて、初めての挫折を味わった。
● 負けた試合は全試合覚えてて、だいたい自分のミスがめっちゃ絡んでる。(そりゃ忘れんわw)
● 女の子がいるチームと試合する時はなぜかドキドキした。
● 幼馴染がチームに入る噂が一瞬にして広まり、一瞬にしてなくなった謎。(親が止めたらしい)
● 練習中に雷がなると、キャッチャーで「1人だけしゃがんでるから」という安心感があった。(子供らしいw)
● 夏場はグランドに水撒きをするんだけど、白線が濡れた時の独特な匂いがめっちゃ嫌いだった。(独特w)
● バッターの打球が自分の顔に当たるたびに、キャッチャーが嫌いになっていっいった。(笑)
● 背番号は「2」で、「1」番にずっと憧れていた。
● 将来の夢は、「松坂大輔投手と同じ試合で投げ合うこと」だった。(壮大!)
● 6年の時の甲子園は「ハンカチ王子」フィーバーで、ハンカチだけポケットに入れていた。(影響されやすい。キャッチャーなのに…)
● 最後の大会で、県No.1ピッチャーのいるチームに勝ってあの感動は超えたことはない。マジで速かった…。ちなみに僕はノーヒットで貢献ゼロ。(しかもめっちゃイケメンだった!)
● その大会の準決勝では、プロもやるような球場で試合をできて感動した。(結局ボコボコに打たれて負けたw)

こんな感じですね。ピッチャーを最後の最後までやりたかった子供心を感じて、監督が練習試合でたまに投げさせてくれました。

ま、現実は甘くなかったですが・・・(笑)

ただ、やりたいことを我慢してチームのために譲ったり考えたりすることを学びました。

キャッチャーからのピッチャーへの返球の方が早くて、親の中で話題になってたくらい、態度に出てたみたいですが。(笑)

あと、県大会に行くと、上手な人ばっかりで、いまの音楽活動にもほんと繋がります。同じ道を極めて超えるのは、マジで無理なことってあるんだなと。

すごい人が1人2人いても、チームとしては勝てることも6年生の時に気づきました。いいスポーツだ♪

まとめ

精神的な負荷はありましたけど、自分には必要だったなと今になって思います。

ただ、無理せず仮病をしてバランスをとってたのもエライ(笑)

日曜日の夜は、家の階段で毎週泣いてたらしいです。それくらい学校が嫌いだった中で、よく行ったと思います。我ながら。

6年間かけて満遍なく学ぶいろんなことを、5.6年生で一気に学んだような、そんな感覚です。濃い~小学校生活でした。6年間で楽しい思い出は、野球の勝った試合試合くらいでしたけど、トータルよかったかなと。(上からw)

あと、学級委員として、校旗と国旗を朝に掲げる仕事は、誇らしかったです。よく頑張りました。以上、小学生時代でした!

次は、「中学生時代」かも?

ここからは暗黒期ですね♪

書くことめっちゃあるぞ~(笑)

それでは!!

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